お知らせ

1960年代から計画され、50年以上の長きにわたり、台湾や各国の反原発市民との攻防を経て、2015年7月1日、終に事実上の建設中止となりました。

■Taiwan freezes construction of 4th nuclear power plant(KYODO NEWS)
https://english.kyodonews.jp/news/2015/07/361374.html

■台湾、第4原発の建設凍結 劣化防止措置が完了(琉球新報)

私たち「55基目の原発を止める会」は台湾と日本の市民が協力して第四原発の建設を止めることを目的に、2010年から地質調査などの活動をしてきました。

地質調査にご協力いただいた皆様、カンパにご協力いただいた皆さまに心より感謝いたします。

この2015年7月1日の事実上の建設中止を受けて「55基目を止める会」の活動を終了いたしますが、このブログは閉鎖せずに公開しておきますので、情報としてご活用いただければ幸いです。

2015年8月28日 
55基目の原発を止める会(台湾脱原発みどりの橋)メンバー一同


2011/10/27

台湾での原発事故 一覧 (第4原発を除く)

台湾の第1、第2、第3原発に起きた事故の一覧

時期 原発 事故
1978年10月第1原発 放射性気体漏れという重大事故が発生、アメリカ業者が一ヶ月をかけて修理しやっと改善
1980年8月第1原発 海のゴミで冷却水取水口がつまり、冷却水の供給が中断
1982年1月第1原発 労働者が原子炉の維持工事中に転倒し、大量の放射線を浴びて3日後に死亡
1984年3月第1原発 放射能に汚染されたパイプのクズ鉄が流出し、建材に加工され転売された。その建材を使ったマンションが建物された。
被曝マンションの数 183棟。1580世帯に及ぶ。(*1)
1984年6月第1原発 核廃棄物を運ぶ輸送船が漁船と衝突し、放射性廃棄物が入ったドラム缶が海に落下
1984年10月第3原発 冷却水取水口の掃除をした潜水清掃作業員3名が、勤務後数日の間に立て続けに死亡
1986年4月第1原発 2号基を418日間連続運転。 期間中、放射能放事故で職員撤退という事件。運転しながら修理工事を行った。事故を記録した管理日誌が破られた。
1987年5月第2原発 1号基の修理作業で安全作業手順に違反し、200名の作業員が体外被ばく
1988年3月第3原発 取水口付近のサンゴ礁が大量に白化し死滅 (50%)
1990年12月第2原発 2号基のテスト中、職員が手順に従わず、一部の作業員が被ばく
1992年11月第3原発 当直員が運転のデータを偽造し、所長など15人が処分される
1993年9月第2原発 排水口付近で骨が曲がった魚を発見。検体は正常値の50倍を超えるカリウム40が測定された。
1994年1月第2原発 20万ガロンの放射性廃水が建屋の床に溢れる。放射能は8万キュリー。(8万キュリー = 2960テラ・べクレル = 2960兆ベクレル)
1999年2月第3原発 核燃料運送トラックが、運転手の飲酒運転のため民家につっこむ交通事故を起こした。
1999年9月第1原発 放射性廃棄物のドラム缶(31本)を運ぶトラックが、運転手のサイドブレーキの引き忘れにより、川に転落
2006年12月第3原発 付近でM6.7の地震発生、原発手動停止
2008年2月その他 放射性廃棄物処分場(ランユー島)に保存される廃棄物ドラム缶4000本が破裂した
2009年6月第3原発 予備用変圧器、炎上

信じられないような事故が起きています。それでも進めているのですね、驚きです。

(*1) 日本で言うところの国営にあたる。建て替えや引越しの対応は行われていない。住民はそのまま暮らすしかない状態。放射線が高い部屋は閉鎖されている。

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